こじま さちこ
小島 幸子
プロフィール
本名安江 幸子(やすえ さちこ)[1](旧姓小島[2])
性別女性
出身地 日本・千葉県[3][4]
生年月日 (1979-01-18) 1979年1月18日(45歳)
血液型A型[3]
職業声優、女優
事務所マウスプロモーション[4]
配偶者安江誠
小島 幸子(こじま さちこ、1979年1月18日[5] - )は、日本の声優、女優[3]、元子役。千葉県出身[3][4]。マウスプロモーション所属[4]。 芸能界入りのきっかけは、9歳のときに劇団の新聞広告を見て母に「テレビに出たい!」「ここに入りたい!」言ったところ、母は「やりたいことはやらせてあげるけど、全部自分でやりなさい」との条件だった[6][7]。子役として1987年から1997年まで劇団日本児童に所属していた[4]。事務所に台本を貰いに行ったり、複数の電車を乗り継いでスタジオに向かったり、学校から電話でタクシーを呼ぶといったことは全て自分で行っていた[7]。 声優デビュー作はアニメ映画『おもひでぽろぽろ』の学級委員の小林役で、台詞は「意見のある人は手をあげてください」の一言のみだった[7]。同作では主人公役のオーディションを受けたが落ちている[7]。同時期、実写映画『四万十川』で何次ものオーディションを経てメインキャストに選ばれ、それを機に声優含めて仕事が増えた[7]。 以降、ドラマ、ラジオ、洋画吹き替えで活動していた。高校3年生のときに女子高生たちが登場するトーク番組に出演した際、可愛いモデルの子がいる中で自分は面白いと頑張ったが、プロデューサーには受けず傷付いた[8]。それには自分も薄々気付いていた上に、カメラの前ではまばたきが止まらなくなってしまうことでもう辞めようと思った[9]。しかし喋ることは好きだったのでバスガイドになって旅行の専門学校に通おうとも思った[9]が、それで本当にいいのか、顔出しの芝居じゃないとできないのかとも悩んでいた[9]。吹き替えもラジオもしていたが、顔出しが怖いだけでその仕事だけしたくないとマネージャーに頼むが、今まで普通に仕事をしていただけに受け入れてもらえず、もう無理だと半ば強引に退所。その後は「実績はあるからどこかに入れるだろう」と楽観していたが、全く声はかからなかった[9]。 仕事はどこにあるのかと思い、声優として出演したときの台本にある出演者とともに書かれた事務所名を見て一番数が多いところの養成所に入ろうとするも、2つのうち1つのある大手プロダクション附属の養成所は入所金が高くて諦める[10]。しばらく路頭に迷う状態だったが、以前のマネージャーからもう1つの候補である江崎プロダクションのオーディションがあると教えられて参加[11]。1997年に江崎プロダクション附属養成所入所。その頃、同じくカメラは無いと劇団研究生になるが、すぐに劇団が潰れる[11]。そこで知り合った人から「一緒にお笑いをやらないか」といわれてコント集団で活動を始めた[11]。1998年からマウスプロモーションに所属[4]。養成所は講師から「現場に出た方がいい」と言われて1年通っただけだが、そこでは今まで直感で演技をしていたのを行間を読むことや考える、人の芝居を見ることが一番の勉強だと学んだ[12]。
経歴